マイナー・史跡巡り: 鍋島松濤公園

日曜日

鍋島松濤公園

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鍋島松濤公園

渋谷駅の直ぐ近くに静かな日本庭園風の公園があるのをご存じでしょうか?

鍋島松濤公園と言います。

ここは、かつて紀伊徳川家の下屋敷があった場所です。

下屋敷ってなんだろう?

調べると、御三家を含む、大名の在府期間(参勤交代で、殿様が江戸に居る期間)中、江戸城付近にあって、登城も含め、公務に一番活用するのが上屋敷。

隠居された殿様等、ちょっと政治から遠のいた人達等が居る中屋敷。勿論江戸城からは多少離れています。

鍋島閑叟(直正)
そして、下屋敷は、藩から上京してきた書生や家来が常時は活用。また、当時江戸は火事が多かったため、それらがあった場合の退避場所としての役割も果たしていたようです。

つまり、江戸時代は、渋谷とは言え、かなり地方だったのですね。まあ、全て歩きの世界ですから、江戸城から歩けばかなり距離はありますね。

さて、脱線しましたが、その紀州徳川家の下屋敷、明治維新と共に、御三家も規模縮小を余儀なくされます。

そして、明治9年に佐賀の鍋島家に売却。

幕末の鍋島藩と言えば、西洋技術を先進的に取り込んで藩政を先進的なものにした鍋島閑叟こと鍋島直正がいます。

閑叟は、西洋学を熱心に勉強した名君で、その経済学から、佐賀藩の財政を立て直しただけでなく、天然痘の種痘を長男に打ち、その効果を確認し、適塾は緒方洪庵と交流があったり、日本で初めての反射炉を製造する等、薩摩の島津斉彬公と並んで、幕末の名君と言われています。

ただ、惜しむらくは、薩摩・長州のように倒幕運動に積極的に参加せず「佐賀の妖怪」と畏怖されながらも、政治の表舞台での活躍が少なかったため、鍋島藩は、後の明治政府の中核とはならなかったわけです。佐賀の乱の江藤新平等の有力者を輩出はしましたが。

松濤公園にあった紀州下屋敷を買い取った当時の鍋島藩主は息子の直大でしたが、この閑叟のお蔭で、財政難から脱出していたことが、この購入に役に立ったのではないでしょうか?

その後、この公園一帯を茶畑にして、狭山茶を移植して、「松濤園」として売り出していました。まさに今の松濤公園の水車のある当たりの湧水で、この松濤園の茶を淹れていた訳です。

松濤にある東京都知事公邸
(小池百合子さんどころか、全く人が居ない感じであった)
今は有名な静岡のお茶ですが、明治初期まであまり有名ではありませんでした。
当時、倒れた徳川幕府の旧家臣、所謂「旗本」を、静岡に集めたは良いのですが、食べさせる手段が無かった訳です。何といっても、「旗本百万騎」(当時はそんなには居なかったでしょうが)、それだけの元武士を食べさせるのは大変です。

そこで皆静岡で何をやったかというと「お茶作り」なのですね。静岡茶はそれで有名になっていくのです。
松濤園の茶が、紀州徳川の敷地で栽培されたことについて、それらの影響があるかどうかは分かりません。

ただ、明治もしばらくすると、鉄道網が整えられます。そしてこれらの静岡茶が、この鉄道によって東京にもたらされると、松濤園の茶は衰退しました。松濤園のゆかりから、この辺りを「松濤」と呼ぶようになったのです。

茶が振るわなくなった明治末期は、「鍋島農場」ということで、果樹園や牧場だったようです。当時の渋谷は、かなり田舎だったのでしょうね。あの唱歌「春の小川」が、多分この当時の渋谷川を歌ったものなのですから。

そして、関東大震災の移住者向けに住宅を分譲しはじめ、今の松濤地区の高級住宅街となった訳です。

湧水地のある今の公園の場所は当時侯爵となっていた鍋島侯爵邸でしたが、戦後の華族制廃止により、公園となりました。
なぜ?ハチ公

そういう経緯のある公園ですが、周囲の高級住宅街は渋谷から5分の範囲にあるのに、閑静で、素晴らしい邸宅ばかりです。

東京都知事公館も、ここにあります。(写真右)

ちなみに、安倍首相のお住まいも、松濤からちょっと北側へ行った富ヶ谷という場所にあり、常に警察が警備しています。

松濤地区を歩いていて、面白い標識を見つけました。

渋谷とは雰囲気の全く違う高級住宅街でも、やはり渋谷ハチ公の影響下にあるのですね。

今日のところは、こんなところで。それでは。


【鍋島松濤公園】東京都渋谷区 松濤2丁目10-7