マイナー・史跡巡り: 出雲大社

土曜日

出雲大社

10月は「神無月」と一般に言われますが、出雲では「神在月」と言うようですね。ここに暑い8月のお盆に訪問しました。

【※写真はクリックすると拡大します。】

冒頭の呼び方の違いもそうですが、出雲大社には、色々と不思議な事が多いようです。今回確認出来た不思議な事は以下の3つ。

①一般の神社は、2礼2拍1礼のところ、出雲大社は2礼4拍1礼。

→良く分からず、お賽銭箱の前で戸 惑っている方々が沢山いらっしゃった。私もその一人。4拍って、かなり多い感じがしました。

②注連縄(シメナワ)が一般とは逆の左本右末の左綯え(ひだりなえ) である。

→右上の写真の超太い注連縄。

③その昔、出雲大社は、96mもの高さであった。

→現在は25m程度。過去の想像図は右写真の通り。

上記3つについてにすら、「なんで?」という事について記載されたWeb等はあまりありません。そこで、また想像力豊に考えてみましょう。

1.出雲大社は2礼4拍1礼なのは?

どうも、これは元々、8拍だったものが、略して8→4→2になったのでは?という説を言われている方をWebで見つけました。大体、略すと半分になるようです。

「八」は末広がりで縁起がいいので、良く使われ、「八開手(やひらで)」と言われ、今も伊勢神宮に残っているそうです。なので、この略式の初期が出雲大社の4拍、明治以降一般には2拍になったのでは?との想定です。

出雲さんの方が昔ながらのやり方に近いというところが、それらしいです。

2.注連縄(シメナワ)が一般とは逆の左本右末の左縫なのは?

島根県に多いそうです。反対なのは。因幡の白兎伝説等、古事記ゆかりの地だけに、なにやらその当たりとの関係がありそうですね。
(右の写真は、その伝説のある白兎海岸近くの白兎神社です。出雲大社に行く前日に立ち寄りました。)

諸説あるようですが、勝手に、次のような仮説でお話します。

注連縄は結界の役割がありますね。なので、一般の右綯えは、俗世から神域である神社に邪気が入らないように結界を張る、つまり神様自体は、俗世に出入り自由なのです。

しかし、出雲大社は神様が沢山集まるところ。おいそれ神様が出入り自由だと色々と差し障りがある。特に「神在月」にメインの神様が何処ぞフラフラ出て行ってもらって、他地域のように「神無月」ですなぁ。なんてなったら、出雲さんは立つ瀬がない。なので、注連縄反対にして、神域に対して結界を張る。

いずれにせよ、古事記等とゆかりの深い島根県だけの特徴であれば、何かワクワクしますね。色々と想像は広がります。

3.96mもあった出雲大社

古事記にある記載から96m説があります。実際には、もう少し低 い48mまでだったのでは?との説もあります。(木造建築技術的に難しいのでは?との根拠のようです。)

そもそも48mでも大変な強度が柱に求められ、大木3本 を束ねないとこの強度は出ないようです。

隣の古代出雲歴史博物館に平成12年に出雲大社境内から発見された 「宇豆柱(ウズバシラ)」が展示されていました。(右写真)

なんと、これが大木3本束ねた跡なのですね。(栗の木ですよ。古代は栗の大木を使った建造物が多いのも不思議です。)

やはり、高い建物があったのは確かでしょう。それが48mか96mかは建築学的検証がまだ必要なのでしょうが、不思議に思うのは、古代の人は何でそんな高い建物を欲したのですかね。

何度か倒壊しているという話ですから、その頃の建築技術レベルを超えていることは確かのようです。

勿論、高天原に見立てて、高い建物を作ったとか、古来人間は神が住む所をなるべく高く、天に近いところにしたがると言った理由は、本質的な解なんだろうとは想像できます。

ただ、やはり人間が住む建物であれば、建築技術レベルの限界にチャレンジするようなものは建てないのでは?と思うのです。

神様の棲家を蔑ろにする訳ではありませんが、いや、神様の棲家だからこそ、そのご加護によって、人間の英知の限界にチャレンジする良いチャンスを与えてくださる。ということで、あえてこのような高い建造物建築にチャレンジした。いわば古代日本人の技術チャレンジの場であったと想像するのは、考え過ぎでしょうか?

暑い夏の蝉の鳴く出雲大社で、出雲大社建造に係った人達の想いに妄想を巡らせました。

【白兎神社】鳥取県鳥取市白兎592【出雲大社】島根県出雲市大社町杵築東195