マイナー・史跡巡り: あつい!信州上田城

金曜日

あつい!信州上田城


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夏休み中に、家内に請われ、涼しい軽井沢にて避暑とショッピング(最近軽井沢にはプリンスホテル系の大きなアウトレットがありますね。)に行きました。

しかし、マイナー史跡巡り好きの精神は、標高1,000mはある涼しい軽井沢に安穏としている事を良しとせず、軽井沢から近いという理由で、標高440mのかなり暑い場所にある上田城を見に行かないと気が済まない心境となりました。

上田城に着いて、最初に車から降りた途端に感じたことは、やはり暑い!!夏休みに日本の城を廻ることが多いのですが、どうして城は暑いところにばかりあるのですかね。

さて、このお城、全然マイナーではない、むしろ有名なあの真田氏の城です。真田昌幸、真之・幸村の時代にかなり活躍したお城ですが、残念ながら今は一部しか残っていません。明治になり、必要ないとの事で払い下げられたようです。
このお城、 アニメ映画「サマーウォーズ」の舞台 となって注目を集めたせいもあってか、来訪者に若い人が目立ちました。

アニメで出てくる田舎の家の佇まい(左の写真の門が、その家の門と同じでした)や、コンピューター内のボスキャラをやっつける作戦が、小数の真田軍が大軍勢の徳川軍を撃退したやり方に似ていること等、アイデアの源泉が上田城&真田家のようです。上田市も町おこしの一環としてこれをフューチャーしていたようですが、このアニメ、構想自体が、かなり変形はしていますが、ある意味現代の真田十勇士を狙っているように見えますね。

へー!と思ったのはお隣、小諸城(懐古園)に至っても、小諸を舞台にしたアニメを作成したみたいで、小諸城内にも、かなりそれらのポスターが貼られていました。二匹目の泥鰌になりますかね?

さて、真田氏の頃に話を戻しますが、武田勝頼が信長に攻め込まれ、甲府は新府城(今の韮崎市)から脱出することになりました。

その時、脱出先として、家臣の真田氏と小山田氏が自分の城に逃れるように勧めたのですが、結局勝頼は、真田氏は先代の信玄の頃にやっと従属した豪族だったのに対し、小山田氏は、昔から土地も甲府と関係の深い大月が領国であり、(今でも甲府の方は大月の辺りの事を「郡内の人」と、近隣の人のように言うそうです。)血縁関係も鎌倉時代から続いているため、そちらに落ちて行きました。

結果はご存じの通り、途中で、小山田氏が豹変し、自分の領内には入れないとしたため、勝頼は小数の家族・郎党と、今の笹子トンネルの甲府側の口の辺りをうろうろしているうちに、信長軍が到着、時間切れで自害、武田氏滅亡という悲劇を生みました!

「この時、勝頼が真田昌幸に従っていたらなぁ!」

とこの事実を知った中学生の頃何度、思ったことでしょう。

真田氏は、ご存じのように、小数で大軍を相手して大勝利を収めるのに長けた一族で、これで徳川軍は2回も痛い目にあってます。また、大阪夏の陣で敗色が強い豊臣方にあって、真田幸村だけが、家康の本陣に差し迫り、あわや家康ピンチまで追い込んだ戦術の巧みさを持っています。これらを想えば、武田勝頼の大逆転もありえたかもしれないと変に期待してしまっていた次第です。

さて、上田城での痛快な真田氏の合戦は大きく2つあります。

武田家滅亡時期に、自国に帰った真田昌幸は、このどさくさに紛れて、沼田領の拡大を図り、領土分捕りを行うのですが、これが家康との対立の材料になります。

そこで徳川軍が7,000の兵で攻めてくるのですが、1,200の兵力で迎え撃つ昌幸は、敗退のフリをして、徳川軍を城内に引き入れ、引き入れたところで、散々に打ちのめしました。(死者 徳川1,300名、真田40名)これが第一次上田合戦。

第二次上田合戦は、関ケ原の戦いに向かう徳川秀忠38,000の軍を、昌幸・幸村の2,000の兵で迎え撃ちました。山岳戦に長けた真田軍は、最初からこの4万弱の軍を関ケ原に参戦させないことのみを目的として、ゲリラ戦、だましうち等々、結局秀忠は、関ケ原に間に合わずとなりました。

痛快ですね。そして、幸村が家康を追いかけ回す大阪夏の陣。真田十勇士の話も、この自由奔放に生きた昌幸・幸村の生き様・行動力が基となって出来た話なのだと思います。

ただ、可愛そうなのは、彼らが筋を通した分だけ、苦労した身近の人が居たのです。それは真之(幸村の兄)です。有名な真田家と言えども、ある意味一豪族の粋を出ず、父昌幸と幸村は、徳川嫌いの筋を通しましたが、家の継続という面で、真之は東軍側(家康側)に付きました。

関ケ原後は、この真之がこの上田城に入っていたのですが、秀忠は前述の足止めの件で、相当真田家には恨みがあったのか、真之は上田城入城後、6年後には、長野は松代藩に国替えとなっています。

そして幕末までこの藩で継続したのですから、ある意味、真田家の存続という観点で、幸村以上の偉業をなしえたとも言えるかもしれません。

下の写真、幸村の兜の前面にあるように、真田家の家紋6文銭は三途の川の渡し賃なのだそうですね。

「三途の川の渡し賃は持たせるから、死んだつもりで戦え」との教えなのだそうですが、命を懸けて自分の思うところが出来た彼らに、戦国時代第一級のロマンを感じた人が多いのは頷けます。

今、上田市は、この真田家を主人公とした大河ドラマ制作依頼のための、署名を集めています。

【上田城】長野県上田市二の丸6263−イ