マイナー・史跡巡り: 小江戸川越に来て

月曜日

小江戸川越に来て


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今日は、川越市に来ました。

流石、小江戸と言われるだけあって、そのような雰囲気のある蔵が多い街通りは、電柱が全くありません。(写真右)

こうやって、景観を保存している史跡は、結構ありますが、どうも電柱が無い街の景色というのは、個人的には落ち着かないというか、電柱に守られて生活してきたというのか、とても不思議な感じがします。

さて、川越市の小江戸のシンボルと言えば、「時の鐘」ですね。今から約400年前、当時の川越藩主だった酒井忠勝氏によって創建されたようです。(写真右下)

この酒井忠勝という方は、この後、若狭の国の小浜藩主となられる等、つまり親藩の系の方です。

江戸幕府が、長いこと安定政権を続けられた事の一つに、「権力」と「富」の分離化があげられると思います。

例えば、士農工商という仕組みは、士である武士は「権力」を持っていましたが、経済的には豊かではありませんでした。

逆に「権力」としては最下位の商人は「富」を持っていて、武士に貸し付けを行う等、「権力」を持つ者は「富」が少なく、「富」を持つ者は「権力」が少ない という図式です。

また、同じ武士でも、中央幕府で活躍する、いわゆる「権力」を持つ親藩は数万石~十数万国程度の「富」であったのに対し、所謂「外様大名」は例えば加賀百万石とか、薩摩90万石、長州50万石 等「富」は多いが、幕閣での影響力ということでは「権力」は小さいという構図です。

この天才的な社会構造を作った一人が酒井忠勝です。江戸幕府はという、初期の頃に、このような天才的な人材をかなり輩出できた事が、長期政権に繋がったのですね。

今の会社、西洋の王朝等は、ある意味原始的な経済ポリシー、つまり「権力」と「富」は比例関係にあるべきとの考えでできていますね。それが、簡単に王朝の没落に繋がっています。

その点日本の皇室も、質素であり、常に富を有しているのは、天皇配下の臣である構造が、2000年以上継続してきた秘訣だと思います。

日本の会社の人事も、もう少しこの辺りを考慮できないのでしょうかね。

やはり会社存続も30年とか言う会社は、刹那的な利益追求型ですよ。長く存続する会社・組織は、本当の意味での公平さを持ち、その公平さがもたらすモチベーションが組織内に脈々と生きているように思いますね。

小江戸と呼ばれる川越市が、長いこと江戸情緒を保存出来た一つの要因に、やはり酒井忠勝らが最初に築いた、本当の意味でのやさしさ(モチベーション)を保存したいという潜在的意欲の表れではないでしょうか?

仙波東照宮の鬼瓦は強面ですね。(右写真)

封建社会は、表面的には厳しい事が多く、現代に比べて色々な意味で大変だったろうと思います。ただ、川越に来て、江戸時代の日本人の本当の意味でのやさしさとはを考えさせらた一日でした。


【川越時の鐘】埼玉県川越市幸町15−15番地7