マイナー・史跡巡り: 三殿台遺跡

日曜日

三殿台遺跡


【※写真はクリックすると拡大します。】


小学生の4年生の頃、友達同士初めて公共交通機関を使って遊びに行った場所があります。

当時は、友達同士の遠距離遠征に両親の了解を取り付けるのに、史跡か博物館か、何かお勉強の臭いがする場所でないとダメみたいな、厳格な雰囲気があったものです。その場所が、今回ご紹介する三殿台遺跡です。

昔は横浜市立小学校の歴史の教科書に、吉田新田と並んで必ずと言っていいくらい、この三殿台の遺跡が掲載されていました。


当時、縄文文化を知るには三殿台、弥生文化を知るには登呂遺跡のような教え方をされたものです。

今では、すっかり港北の横浜歴史博物館が併設されている大塚遺跡に、お株を奪われたようにも見えますが、昔懐かしいこの遺跡に、子供の教育も兼ねて行ってみました。

右上の写真が、その遺跡ですが、ここはこの見える限りだけが平たくなった高台(海抜55m)にあります。

発掘当時のこの場所の写真を以下に掲載します。ワラジムシのような台地ですね。
横浜のみなとみらいに注ぎ込む大岡川側から急斜面を車で登り切ったところに遺跡はあります。

車を止めるスペースは、非常に狭く、遺跡の管理人さんに誘導されて何とか止めることが出来る位なので、車で行かれる方は注意が必要です。

また、管理人さんが無料で遺跡内を案内してくださいます。昔より横浜市教育委員会のサービスが向上してますね。さらに、蛇足ですが、この事務所には地元出身のゆずが三殿台に来た時のサイン色紙があります。

さて、右図に縄文時代当時の海岸線を青く入れてみます(三殿台はAの位置)。

この時期は、遺跡の東側は、磯子の屏風ヶ浦方面となっており、海岸線が今の根岸線よりかなり遺跡に近いところまで入り込んでいました。

また西側の大岡川も弘明寺の辺りまで海岸線が入り込んでいたので、この三殿台が非常に海に近い土地だったことが分かります。

縄文当初は、魚介類の採取で生計を立ててきた漁民集落だったのでしょう。

その後、弥生時代、古墳時代と2,3千年の長きに渡り、住宅地として利用されたようなので、かなり遺構が重なり合った状態のようです。(この敷地内で250軒を超す住居跡があったようです。)

ところが、不思議な事に、石庖丁等の稲作をやっていた痕跡もあるのです。三殿台資料館の考察では、これらは付近の谷戸田を耕作して、居住はこの高台にしたような記述もあります。

しかし、日本の農家等を見て分かるように、古来稲作を始めてから、日本人は低地に住むようになり、そのため、労咳、結核等の低湿地に住む民族特有の病気を持ったのです。西洋のような湿気の少ない丘に住む生活形態は、近年になって稲作農家が少なくなって日本に入り込んできたものなのです。

三殿台の古代住人達が、農業に適した低地に住まず、海抜55mのこの狭い高台地に、何代にも渡って住んだということは、ちょっと不思議な気がしました。

そこで思い出したことがあります。

右の図は、若手建築家による東日本大震災復興支援・建築デザイン展の一つです。

今回の震災の反省から、海抜25m程度の人工高台基盤を作り上げ、その上に住居を並べて住もうという構想があるようで、NHKでも特集で取り上げられておりました。

そこで、この図と上のある白黒写真の三殿台のアメーバーのような台地はちょっと雰囲気似ていませんか?

そうです。津波や洪水の害を逃れるために高台で過ごすという自然の知恵が何世紀もの間に蓄積されて、この場所を選んできたのではないでしょうか?海が迫っている時代の津波や、稲作に入った時代の近くを流れる大岡川の氾濫が結構あったのではないでしょうか?

今の横浜市南区のハザードマップを見ても、大岡川の浸水被害の予測はかなりこの三殿台の近くまで来ています。

もともと日本には、ちゃんと自然災害に対して対処すべく、先人たちの知恵があったのだと思います。

その知恵が、この三殿台の何代も続く、250軒の住居跡として残ったんだと思います。


段々、世知辛い世の中になると、災害があるかもしれないから、高台に住もうより、効率が良いから低地に住む的な感覚になってしまっているのかも知れませんね。

そう考えると、なんだか三殿台の遺跡の時代は、今より時間がゆっくり流れているような感覚に陥ります。

時には、これらの密集住宅が、大火にあったこともあったのでしょう。全天候型の保管施設の中には、左の写真のような、明らかに火災に見舞われた跡と分かるものも残っています。色々な人間劇があったのは、今も昔も変わらないのでしょう。

私たちの生活は、明らかに、この竪穴式住居の頃に比べると、清潔で、快適になったはずです。

でも、きっと、この頃は、震災、津波、浸水、火災等、多くの災害や、食糧不足、病気等の多くの困難を知恵で生き抜き、生きていること自体への感謝が非常に多かったのではないでしょうか?

人が幸せであるかどうかは、感謝の量で決まると思います。

本当は凄い幸せであるはずなのに、感謝が少ないばっかりに現在の私たちは幸せを感じにくくなっているのかもしれない とこの遺跡を見ていて思いました。

【三殿台遺跡】神奈川県横浜市磯子区岡村4丁目11−22